日本の歴史と未来を感じる保育園。
城山熊野神社の境内にある、ご神木の大きな銀杏の木を目の前にして
子どもたちは笑い、涙し、こころもからだも大きく成長します。
先の大戦から復員した、石川キンダー学園 創立者 石川文吉は、一本の苗木のことを思い出していました。
もともと、幼少期に鹿児島から養子に出された文吉は、小学校の卒業式で、分け与えられるはずの苗木を、地元の人間ではないとの理由から、貰うことができませんでした。しかし、終戦の焼け野原を前にした時、苗木一本のことにこだわってきた自分が小さく思えました。そして、今こそ、学歴や家がなくとも、自ら学び、考え、行動することで人生を切り開いてきた自らの生い立ちを、復興に役立てる時が来たと感じたのです。
昭和24年、文吉は熊野神社の境内にあった木々を製材し、園舎を建てました。そして、その土地に古来より伝わる呼称「城山」をとり、「城山幼稚園」と名付けました。
人は自らの才能を開花させ人の役に立ってこそ、真の幸せを得ることができる。文吉が戦火を経て得た、その才能は、創立から半世紀以上経った今も、私たちの中に脈々と息づいています。
昭和23年、子宝に恵まれなかった創立者石川文吉は、境内地に保育園を建てることを試みました。しかし、当時の審査基準は厳しく、設立の認可を得ることが出来ませんでした。戦後復興に、教育を通して貢献したいと思っていた文吉は、翌年、城山幼稚園を創立しました。
あれから70余年が経ち、文吉の没後30年以上が経ちました。「待機児童問題解決」を、掛け声に史上かつてないスピードで保育園が乱立しています。しかし、この現状に70年間、幼児教育に真剣に向き合ってきた私たちだからこそ感じる、違和感があります。「三つ子の魂百までも」と言われるように、人は3歳までに大脳の80パーセントを完成させます。昨今、託児機能ばかりが注目されがちな保育の世界に、真剣に教育に向き合う保育園があっても良いのではないか。その想いを形にすべく、平成31年1月、城山グループが「新しい保育園づくり」に挑戦します。
Error: There is no connected account for the user 17841408664249621 Feed will not update.